発想の転換
近年オタクがアニメ等のキャラクターを「〇〇ママ」と読んだり「バブみ」等の言葉を用いるようになり「〇〇は俺の嫁」と言ってた時代に比べ弱体化したと言われている。それまでのオタクの感情表現としては「〇〇は俺の嫁」や「ブヒれる」といった表現が有名であろうか。
バブみとは世話焼きだったり母性を感じるキャラクターに対して「バブみがある」という風に用いる概念である。
オタクの弱体化については様々な考察があるが、自分はついさっき寧ろオタクが進化しているのではないかという考えが浮かんだ。(良いことなのかどうかは分からないが)
まず自分は「〇〇は俺の嫁」と「〇〇ママ」といった表現の本質は同じだと考えている。
「〇〇は俺の嫁」を代表するキャラクターにらき☆すたの柊かがみがいるが、間違いなく近年放送されていればTwitterは「かがみママ―ッ!!」のようなツイートで溢れ返っていることだろう。
駄目な自分を捨てないで欲しいという自信のないオタク特有の潜在的欲求から考えてみるとママも嫁も大差ないように感じる。
また、オタクの流行語は凡そ4~5年周期で変化している。
自分がオタク向けコンテンツに初めて触れたのは2005~6年頃だが既に「〇〇は俺の嫁」といった言葉が流行していた。
2010年代前半は「ブヒれる」「シコれる」といった表現を見かけるようになり、さらに2015年辺りから「〇〇ママ」や「バブみ」といった表現を見るようになった。
余談であるが最近では「バブみ」を更に昇華させた「これは俺を妊娠している」のようなより婉曲的な(訳の分からない)表現も散見されるようになった。
周期が増すに連れ、直接的な表現から婉曲的な表現へと変化している。
これはオタクの表現力が豊かになったことの証拠ではないだろうか。
東京オリンピックが開催される頃にはオタクの感情表現がより婉曲的になっていることだろう。
おわり
そういえば「萌え」という2文字で全てを表せるとても完成度の高い言葉が「〇〇は俺の嫁」以前からありましたね。やっぱオタク弱くなってるわ。
そりでわ✋